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軽井沢タリアセン夫人@Bike(PART 2 OF 3)

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軽井沢タリアセン夫人@Bike(PART 2 OF 3)



きびしい暮しの中のロマン

 


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デンマンさん。。。 どうして“バイクに乗ったおばあちゃん”の写真を持ち出してきたのですかァ~?


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あのねぇ~、バンクーバーの市立図書館で上の本を借りて読んだのですよ。 この写真のおばあちゃんは、終戦後50年経ったときに85歳だったのだから1910年の生まれのはずです。 今でも元気ならば104歳ということです。

。。。で、上の本を読んでデンマンさんは感動したのですか?

そうですよ。

あらっ。。。 デンマンさんも老後の暮しに備えて元気を回復し、バイクに乗って またカナダを横断しようと考えているのですか?

ジューンさん。。。 まるで僕がヨボヨボになっているような言い方は止めてくださいよう!。。。 んもおおおォ~!

。。。で、どのようなところに感動したのですか?

次の箇所を読んで僕は、しみじみと考えさせられたのですよ。


戦後50年と私

(終戦の)1年前、結婚して7年半だった主人は、赤紙とともに南方の島フィリピンに送られていました。
もちろんなんの消息もなく---生きているのは死んでいるのかも知れず---人づてに最初はミンダナオ島に送られたと聞いておりましたが、その後セブ島に渡ったという噂もあり、本当のところはわからずじまいです。

軍人でもない1民間人だった36歳の主人は、家計が裕福だったこともあり、趣味の油絵を勉強するために「戦争が終わったらフランスに行ってみたい……」などと、夢のようなことを言っておりました。
しかし、それも実現しないまま、帰らぬ人となってしまいました。


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出征したあの日のことは、今でも鮮明に脳裏に焼きついております。 (略) 1歳の次女を背に、6歳の長女、4歳の長男の手を引き、みんなと駅までぞろぞろ歩いては行ったものの主人の姿は見当たりません。
どうしたことかと心配していましたが、汽車の出発時間も迫ってくることですし、見送りの方々もプラットフォームに上がって来られました。
私も一緒に上がって行きましたら、なんと主人は長いホームの先端にたった一人で立っていたのです。

戦争を心底憎み、自由人でありたいと願っていた主人のやり場のない思いが、そんな行動を起こさせたのかもしれません。
軍律の厳しい軍隊の中で、その後どう生活したものかと考えると、胸がふさぎます。

終戦の翌年、昭和21年3月に、政府から正式に死亡公報が送られてきたときには、「皆さんと一緒に出発しなかったからよ」と、一人ごちたものでした。
同時に出征した町内の若者二人は無事帰還しましたが、桐箱の中に石と化した主人は、いったいどんな死に方をしたのでしょうか。
目の前で死を確かめていない別れ方は、いつまでもいつまでも中途半端な思いを引きずるものです。


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 (中略)

しかし人間というものは、本当に悲しいときには涙は出ないものだということを、この主人の死によって私は身をもって体験しました。
主人の遺骨の箱を手にした時は、涙よりも先に自分の肩にずっしりとかかってくるこれからの生活と、混沌とした将来を思い、「とにかく、しっかりしなければ」と自分に言い聞かせました。
「何があってもこの家族を飢え死にさせることはできない……」と心に誓ったとき、涙の一滴も落とす余裕はなかったのです。

 (中略)

(横浜のカトリック系)女学校で夢中で勉強した英語のおかげで、その後、私は外国商社で仕事をはじめました。
終戦直後、舅を送り、姑とは25年間生活をともにし最期を看取りました。
戦後のどさくさで荒稼ぎする人も多いなか、女の細腕を頼りの生活は本当に心細いこともたびたびでしたが、みんなが健康であってくれたのが何よりと思っております。

進駐軍の手から初めて日本側に戻された横浜のデパートというものを、「デパートってなあに?」と不思議がる次女に「何でも売っている所よ」と言ったら、「じゃあ、お父様を買ってきてよ」とダダをこねて私を困らせたものです。

その娘の住むトロントに移住して今年で18年が過ぎ、こちらの生活にもすっかり慣れました。
日本のように物があり余るぜいたくさはないにしても、生活に不自由しない適度な余裕を心から有り難いと思います。

そして、ここに来てからお知り合いになったご親切にしてくださる多くの方々との繋がりは、85歳という人生の先が見えている者には、何にもましての財産と日々感謝しております。

主人と、また沖縄の高射砲部隊で弟をも戦死させたこの大戦の「私の戦後」は死ぬまで消えることはないにしても、あの軍国主義の日本がなくなったことは、一日本人として全く悔いがないことを最後に付け加えたいと思います。

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(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)



213-218ページ 『カナダ生き生き老い暮らし』
著者: サンダース・宮松敬子
2000年12月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社




なんだか、すごいというかァ~。。。 このおばあちゃんは 厳(きび)しい、大変な人生を歩んでこられたのですわねぇ~。



本当に大変だったと思いますよう。

デンマンさんも戦争中は大変な思いをしたのですか?

ジューンさん! んもおおおォ~! 僕は、あの大戦を知らない世代ですよう! 戦後生まれですからね。。。 僕を上のおばあちゃんと同世代のように言わないで欲しいのですよう!

ちょっとからかったまでですわ。。。 うふふふふふふ。。。

うふふふじゃありませんよう! この記事を読んでいる人の中には、あの戦争を体験して、上のおばあちゃんの写真を見ながら、「このような人生を送る人がマジでいるのだろうかア!?」。。。 と、感に堪えない人もきっと居ると思うのですよ。

でも、ほとんどのネット市民の皆様は わたしも含めて実感が湧かないと思いますわァ。

そうでしょうねぇ~。。。 実は、たまたま僕は溝具健二監督の次の映画を図書館で借りた DVD で観たばかりなのですよ。


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『拡大する』


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『実際のカタログページ』



あらっ。。。 7月23日に観て、いつものように英語でコメントを書き込んだのですわね。



いけませんか?

いいえ。。。 かまいませんけれど。。。、この記事を読んでいるネット市民の皆様の中には英語を読むのが苦手な人がたくさんいると思いますわ。

そうかもしれません。。。 でもねぇ~、僕は一応カナダで20年以上生活しているので、やっぱり、英語にも馴染まなければならないのですよ。

分かりましたわ。。。で、上の映画は、どのような内容なのですか?

予告編のビデオクリップがないものか、とネットで探したのだけれど、残念ながら見当たりませんでした。


(nitegal3.jpg)

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でもねぇ~、上のクリップの最初に、田中絹代さんが演じる大和田房子というヒロインが更正施設から脱出するシーンが出てきます。



ヒロインの女性は、どうして更正施設に入ったのですか?

あのねぇ~、大和田房子という女性は、ちょうど上の本に出てくる宮松芳子さんと同世代の人なのですよ。 夫も戦争に取られて、幼い子供を抱えて戦後を生き抜いてゆくのだけれど、嫁ぎ先が貧しく、幼い子供は病気をこじらせて亡くなってしまう。 やがて夫が戦死したという公報が届く。 ところが、貧しいことに上乗せするように、人の運にも恵まれず、結局、働いてはみるのだけれど、そこの社長に騙されて 身を持ち崩(くず)し、パンパン(娼婦)になってしまうのですよ。

あらっ。。。 悲劇のヒロインですわねぇ~。

そうなのですよ。。。 ある時、警察のパンパン狩りに遭(あ)って、更正施設に入れられてしまう。 宮松芳子さんと比較すれば、大和田房子さんは決して悲惨というほどでもないのですよ。 芳子さんの場合は、もっとひどい状況にあった。 幼子3人を抱えて、しかも姑も養わなければならなかった。 たまたま嫁ぎ先が空襲で焼けなかったのが不幸中の幸いだった。 また、戦前 裕福な生活を送っていたので、食糧難で苦しい生活を余儀なくされたけれど、家具や着物を売ったり、物々交換して、なんとか食料を確保できた。 しかも、女学校時代に英語を勉強していたおかげで、外国商社で仕事をすることができた。

苦労したのですわぇ~。。。

そうですよ。 ある意味では映画のヒロインの大和田房子という女性よりも、宮松芳子さんは、さらに厳しい状況に置かれていたのですからねぇ。。。 とにかく、戦後には、元貴族の婦女子が生活に困って、パンパンになってしまうケースがたくさんあったのですよ。 だから、『夜の女たち』という映画にもなったわけです。

ただ、その事を言うために、デンマンさんはカナダのおばあちゃんを持ち出してきたのですか?

いや。。。 もちろん、それだけではありませんよ。 あのねぇ~、その宮松芳子さんの心の支えとなっていたものが何だったと思いますか?

何ですか?。。。 もったいぶらないで。。。 細木数子のようにズバリ!と言ってくださいなァ。

心の支えとなったのは、『哀愁』という映画だったと言うのですよ。 英語の原題は“Waterloo Bridge”です。


(waterloo2.jpg)


(lib40722.png)

『実際のカタログページ』



あらっ。。。 デンマンさんも、『哀愁』がどのような映画だろうと思って、7月22日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて観たのですわねぇ~。。。



そうなのですよ。。。 あのねぇ~、実は、僕はかつて日本にいる頃、『哀愁』という映画を観た事があるのです。 でもねぇ~、なんとなく わざとらしい話の筋だったので、それほど素晴らしい映画だとは思わなかった。

。。。で、今度 改めて観直したわけですか?

そうです。。。 宮松芳子さんにとってぇ、心の支えとなったという映画ですからね。。。 だから、僕も そのおばあちゃんの人生経験を想い浮かべながら、『哀愁』を改めて、じっくりと観たのですよ。


(waterloo3.jpg)

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Waterloo Bridge (哀愁)

もともとは1930年6月6日に、戯曲家ロバート・シャーウッド作の二幕の舞台劇としてブロードウェイで初演されたもので、1931年にジェームズ・ホェール監督で映画化されている。
舞台と1931年の映画化では、クローニン大尉はカナダ軍兵士である。

本作での主演のヴィヴィアン・リーは名画『風と共に去りぬ』の次の年の製作。
『風と共に去りぬ』では、乱世を生き抜く強い女性を演じたが、『哀愁』ではその反対のか弱い踊り子を見事に演じており、リーの演技力が光っている。

舞台は、第一次大戦中のイギリス・ロンドン。
イギリス軍将校のロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)とバレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)はウォータールー橋でめぐり会う。
翌日には結婚の約束をするほどに、その恋は燃え上がるが、その夜ロイは突然の召集で戦場へと向かうことになる。
健気にロイの帰還を待つマイラだったが、その彼女がたまたま目にした新聞にはロイの戦死の情報が載っていた。

バレエ団を解雇されたマイラと友人のキティ(ヴァージニア・フィールド)は、生活の貧しさとロイの戦死の絶望感から、娼婦に身を落としてしまう。
そしてある日、いつものように客を探しに駅で目にした光景は、何と戦死した筈のロイの姿だった。
偶然の再会を喜ぶロイ。
戸惑いと葛藤を隠せないマイラ。
しかしロイの強い説得で、マイラはロイと結婚することを決意し、ロイの故郷スコットランドへと赴くのだった。

しかし、本当のことをロイに打ち明けられないマイラは、ロイの母親マーガレット夫人(ルシル・ワトソン)に、「ロイとは結婚できない。」と言って全てを打ち明け、翌朝ロイの屋敷を発ってロンドンへ帰る。
そして思い詰めたマイラは、ウォータールー橋で軍用トラックに身を投げて自ら命を絶ってしまう。
マイラが去ったことを知ったロイは、ロンドンへ戻りマイラを探すが、彼女を見つけ出すことはできなかった。

1953年に日本で制作された『君の名は』(岸惠子、佐田啓二主演)は、この映画のウォータールー橋を数寄屋橋に置き換えて製作されたリメイク版である(但し、内容は大きく異なる)。



出典: 「哀愁」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




確かに、宮松芳子さんにとっては、素晴らしい映画のはずですよ。 なぜなら、困難にもめげずに、身を持ち崩すこともなく、姑と3人の幼い子どもたちを抱えて生き抜いたのですからね。 映画ではヒロインは自殺してしまうのですよ。 それに、戦死した旦那さんというのがロバート・テイラーのような優しい人だったというのですよ。 確かに、おばあちゃんの旦那さんは 本を読むと、その当時の日本人と比べたら、自由主義でおおらかで優しい人なのですよ。



つまり、『哀愁』は、おばあちゃんにとって“きびしい暮しの中のロマン”だったのですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 それに、おばあちゃんでなくとも、『哀愁』をリメイクした映画『君の名は』は、当時、日本中の女性を魅了したほどですからね。。。



『きびしい暮しの中のロマン』より
(2014年7月28日)




 (すぐ下のページへ続く)





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