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いぬのふぐり(PART 1)

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いぬのふぐり(PART 1)




春のうた



ほっ まぶしいな。

ほっ うれしいな。

みずは つるつる。

かぜは そよそよ。

けるるん くっく。

ああ いいにおいだ。

けるるん くっく。

ほっ いぬのふぐりがさいている。

ほっ おおきなくもがうごいてくる。

くっくっく。

けるるん くっく。

けるるん くっく。
 
 
by 草野心平





(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより)





デンマンさん。。。あんさん、どうして季節外れな「春のうた」など取り上げはったん?



本を読んでいたら、たまたまこの詩に出くわしたのやがなァ。

。。。で、感動してしもうたのォ〜?

いや。。。感動したというよりも珍しい詩やと思うたのやァ。

どないなところが。。。?

あのなァ〜、「いぬのふぐり」という言葉に出くわして、わてがすぐに思い浮かべたのは「犬の睾丸」やがなァ!

あんさん。。。それってぇマジかいな?

ホンマのことやがなァ!

要するに、あんさんには詩心がありまへんのやねぇ?

やっぱり、めれちゃんは、そう思うのかァ〜?

そうやんかア! 「犬の睾丸」が咲くわけないやん。 「春のうた」というタイトルなのやから、「いぬのふぐり」というのは花にきまってるやないかいなァ!

その通りやァ。 わても不思議に思うて何べんも何べんも読み返したのやがなァ。 それで花のことやとは思うたのやけど、わては「いぬのふぐり」が花やと知らへんかったのやァ。

マジかいなァ?

ホンマやねん。。。で、どないな花やねん?

次のようなきれいな花ですねん。





なるほどォ〜。。。小さな花やけれど、きれいなもんやなァ〜。。。



そうですやろう!?

。。。で、この花がどないなわけで「いぬのふぐり」と呼ばれるねん?

実がワンワンちゃんの「ふぐり」に似てますねん。





ほおォ〜、なるほどォ〜。。。言われてみれば「犬の睾丸」に似ているわなァ。 うししししし。。。



草野心平さんは、この花が好きだったらしいでぇ〜。。。

どないなわけで。。。?

心平さんの詩の中によう出てきよるねん。

さよかァ〜?。。。で、草野心平さんってぇ、どないな詩人やねん?

あんさんのために、ここに書き出すよってに、じっくり読んだらええやん。


草野心平



出生:1903年(明治36年)5月12日
死亡:1988年(昭和63年)11月12日)
日本の詩人。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。

宇宙的なまでに広がった世界観のなかで存在の孤独をニヒリスティックに、あるいはまた瑞々しく描いた。
彼の詩には「存在の愛(かな)しさ」と孤独が強調されながら、一方で野性的なまでの生命力に満ちている。
だが、その世界の時空間が宇宙的・太古的に昇華されることで、社会的関係性が欠如しているという批判もかつてはあった。

磐城中学(現・福島県立磐城高等学校)を4年生で中退したのち上京し、1920年、慶應義塾普通部3年次に編入。
同年、同校を中退し、1921年、中国の広東嶺南大学(現・中山大学)に進学する。

1925年(大正14年)排日運動により、帰国。詩作はこの留学中に開始されている。

1923年(大正12年)には、民平と自己の詩をおさめた『廃園の喇叭』を自費出版(この時は一時帰国していたため、出版地は日本)。帰国後、雑誌『銅鑼』を主催し、ここに宮沢賢治や八木重吉らを同人に誘い、彼らの作品の紹介に努めた(彼らの没後まで心平は紹介を続けたが、生前に直接面識を得ることはなかった)。

1928年(昭和3年)、活版刷りとしては初の詩集となる『第百階級』を刊行。全篇が蛙をテーマにしたものであり、以後も、この生物を扱った詩を書き続けた。

1935年(昭和10年)には、中原中也らと詩誌『歴程』を創刊する。

1938年(昭和13年)2月から4月まで、『帝都日日新聞』の記者として満州・中国に渡りそのときの模様を『支那転々』にまとめている(なお、同時期の日記は現存しない。また南京陥落の1937年12月には南京には滞在していない)。その後、南京に成立した汪兆銘の中華民国国民政府の宣伝部長を務めていた大学の同窓生に誘われ、宣伝部顧問として終戦まで南京に滞在する。在中時代は、焼き鳥屋をやっていた経験を持ち、戦後日本に帰国した際にも「火の車」という焼き鳥店を経営していた。

1950年(昭和25年)には、「蛙の詩」によって、第1回読売文学賞を受賞。

1953年(昭和28年)、福島県川内村長福寺の住職矢内俊晃の招聘で同村平伏沼にモリアオガエルを見に行く。

1983年(昭和58年)、文化功労者。

1984年(昭和59年)7月、いわき市名誉市民となる。

1987年(昭和62年)には文化勲章を受章。

1988年(昭和63年)11月12日 没。

詩作品

初期の作品を除くと、ほとんどの詩において、文末に句点が用いられている。
そのかわりに読点はほとんど使われていない。
『第四の蛙』から『侏羅紀の果ての昨今』まで新仮名を採用していたが、それ以前と以後は旧仮名である。

「蛙の詩人」と俗に言われるほどに、生涯にわたって蛙をテーマとした詩を書きつづけた。
この分野では、蛙の鳴き声がさまざまなオノマトペで表現されている一方、いくつかの前衛的な試みが行われている。
たとえば「冬眠」を構成するのは黒丸1文字のみである。
また、「Nocturne. Moon and Frogs」「天気」などでは絵画的な手法が用いられている。

蛙について心平は『第百階級』のあとがきで「僕は蛙なんぞ愛してゐない!」と叫んだことがあった。
実際、蛙についての詩作をやめようと思ったこともあったと詩集『第四の蛙』の「覚え書I」にはある。
1948年(昭和23年)に『定本 蛙』を出したいきさつについて、「もう蛙も年貢の納めどきだろうから」と語っている。
しかしその後も心平は蛙の詩を書くことを止めなかった。

『第四の蛙』の最初の後書きである「覚え書I」は1961年(昭和36年)1月に書かれた。
すぐに出版されたわけでなく、蛙に関する詩を作り続けた結果、同年10月に「覚え書II」を残すことになる。
詩集では、最初の覚え書と2番目の間に8篇の詩が書かれている。
その後も蛙の作品をいくつか作り、結局、「覚え書III」「覚え書IV」を入れて、ようやく1964年(昭和39年)に出版された。
出版によって「一応の終結」(「覚え書IV」)をみせたと語りながら、「III」の中では再び蛙の作品を書きたくなったと告白している。
「IV」においては、蛙の詩に「終り」をつけようとしながら、一方で「蛙に関する詩がこれで終ったとは言い切れないような気がする」とも書いている。
そして、蛙のモチーフはこの後、『こわれたオルガン』や『太陽は東からあがる』などにも現れ、最後の詩集『自問他問』にも2編の詩がある。
「かへるのコはかへる」「性・性」である。

心平が蛙と同様、生涯にわたって追い求めた「富士山」は、やはり最後の詩集にも登場する。
「何何富士」という詩では、富士山が唯一無二であるという前提の下、「富士」という名のつく山を皮肉りながらも、それぞれの山の美しさや独自性などを讃美しようとする。

心平の詩(特に蛙もの)はいくつも曲がつけられている。
例えば「蛇祭り行進」(『第百階級』)は、清瀬保二、多田武彦、堀悦子、南弘明によって男声合唱曲にされ、いずれも出版されている。
「蛙の声明(しょうみょう)」(『こわれたオルガン』)という詩は、石井眞木によって、実際に声明化された。
心平は、詩人と作曲家の共同によって、新しい歌曲を生み出そうとする音楽グループ「ランディの会」に参加していたことがあり、自身の詩の音楽化に関心を持っていた詩人の1人である。
清水脩の「蛙の歌」はここで発表されている。
1992年に三木稔が作曲したフォークオペラ「よみがえる」は、心平のさまざまな詩を素材に、ふじたあさやが物語として構成したものであり、登場人(ではなく蛙)物の「ごびらっふ」「ぐりま」「るるる」などは原作にも登場している。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほどなァ〜。。。蛙にこだわった詩人なのやなァ〜。。。



そうですねん。。。冒頭に、あんさんが取り上げた詩の蛙の鳴き声がいかにも独創的でええねん。

そうやなァ。。。わても蛙の鳴き声が軽快で面白いと思うたでぇ〜。。。

草野心平さんが蛙になって、蛙の目で春の様子を見てますねん。 「いぬのふぐり」から大きな雲へと目線を動かしてゆく。 なんとのう春の気(け)だるい様子が伝わってくるようではおまへんか!

そうやなァ〜。。。

。。。で、あんさんは「いぬのふぐり」という言葉に衝撃を受けてこの記事を書く気になりはったん?

ちゃうねん。。。わては冒頭の詩を読んで、めれちゃんの短歌を思い出したのやがなァ。

どの短歌のことをあんさんは言うてるの?

次の短歌やんかァ。


春待つ





冬の陽の

照らす立木に

枯れ葉なく

春待つ木の芽

風に凍える
 
 
by めれんげ

2010.01.16 Saturday 21:57



『即興の詩 春待つ』より

『春を待つ女』に掲載
(2010年1月19日)




どないな訳で上の短歌があんさんのオツムに浮かんできやはったん?



あのなァ〜、わては次の小文を読んで、詩人である中年女性とめれちゃんが重なったのやないかいなァ。


志集



2008年12月のある晩、東京にある別のターミナル駅前で中年女性を見かけたのだが、慌しい人ごみの中、女性は歩道橋下の柱の前に静かに立ち、「私の志集を買ってください」と書いた、汚れた広告板を手にして、詩集を1冊300円で売っていた。

彼女を見てびっくりしたのは、東京でも路上で詩集を売る人が珍しいからではない。 四半世紀前に、私がその駅を使って日本語学校に通っていた時に、同じ女性が同じ広告板を持って同じ落ち着いた顔つきで詩集を売っていたからである。 当時、彼女の詩集を何回も買おうと思ったが、勇気は出なかった。

しかし、年をとるメリットの一つは、知らない人に話しかけようとすると怖じ気づく気持ちが減っていくことである。 今回は躊躇なく彼女の「志集」を買った。 謄写版のような簡易印刷で刷られ、手作業によりホッチキスで止めたようなその小冊子は、もう第40号に達していた。

その晩は帰りの電車で、また次の日以降は大学の研究室で何回も詩集を読み返して、その詩人のことを思い返した。 この25年間、その駅の周辺は再開発と再々開発ですっかり様子が変わったのに、彼女がそこで自分の言葉を都会人に提供し続けていることは感慨無量である。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)



150ページ 『英語のあや』
著者: トム・ガリー(Tom Gally)
2010年10月25日 初版発行
発行所: 株式会社 研究社

『共感脳の話(2011年6月3日)』に掲載




あんさん!。。。わたしはまだそれ程、年を重ねてませんのやでぇ〜。。。



分かってるやんかァ。。。わてが感動したのんは、20年以上も詩を書き続けながら同じ駅前に佇(たたず)んで“志集”を売っているということやァ。。。しかも、その詩人のことを覚えていて、25年後に初めてその詩人の“志集”を買ったというエピソードや。 なんとのう心にジ〜ンとくるものがあったのやァ。

それと、わたしの上の短歌が関係あると、あんさんは言わはるの?

そうや。。。わては、めれちゃんの短歌を読んで、かつて次のようなことを書いたのやでぇ〜。。。




久しぶりに めれちゃんにメッセージを送るでぇ〜

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。

写真でメッセージを伝えると言うのは、めちゃ難しいと思うでぇ〜
詩や短歌でも、思うことを読む人に伝えると言うのは、かなり難しい。
作者の主観が、読み手に半分でも伝われば いい方かもしれへん。

写真は、読み手の主観や感性に訴える。
だから、写真を見た人がコメントを書くと、その人の
美的感覚、感性がマジでよく表れてしまう。

「春待つ」に添えられていた めれちゃんのヌード写真は、わては実に素晴らしいと思うでぇ〜。。。

どこが素晴らしいのか?

1) 春待つ木の芽 風に凍える

めれちゃんが 春待つ木の芽になって 風に凍えているのやがなァ〜
きゃはははは。。。

2) つまり、めれちゃんの写真は

「春待つ」の短歌と

コラボレーションに

なっておるのやがなァ〜。

それに、次の短歌の続きになっておるのやでぇ〜。


 (すぐ下のページへ続く)



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