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漫画家と平和(PART 2 OF 3)

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漫画家と平和(PART 2 OF 3)




福沢(諭吉)は『瘠我慢(やせがまん)の説』で三河武士の士風の美を讃え、幕府のために戦って死ななかった勝海舟や、一度は箱根に籠城したのに、負けた後、新政府で出世してしまった榎本武揚(たけあき)を批判しているんだ。
それは徹底的に忠君愛国の武士道の「瘠我慢」を支持しているんだからね。
冒頭、出てくる「立国は私なり、公に非ざるなり」というのは、単なる「自分のことしか考えない私を寄り集めたら国ができる」なんて話じゃないからね。
世界大で見れば、立国は徹底した自己本位の私情を貫くことに他ならない。
他国の利益を考えてやるような公共心は世界大では通用しないという、恐るべきナショナリズムのことなんだよ。
これを戦後の文学者も批評家もすべて読み誤っている。

福沢はまず一般的な人の持つ疑問を並べ立ててみせるんだよ。
人と人はなんで国境を決めて争うんだろう、君主を立てるんだろう。
こんなものはすべて、人間の私情から生じたものなのに、と。
そして現実論を言い始める。
そうは言っても、現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。
忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。
…そういうふうに話は逆転してくるんだ。
そして、ついに福沢は、こう言い始める。

「自国の衰退に際し、敵に対して固(デンマンは【個】だと思いますが…)より勝負なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝負の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくわ死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」

これが福沢の言う「瘠我慢の説」だよ。
つまり合理主義を排している。
負ける戦争と分かってるものをするな、という司馬遼太郎や、最近の保守主義者が言ってるような生ぬるい感覚じゃないんだ。



「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。
まさに大東亜戦争にわしが共鳴するゆえんのところを福沢はすでに、この時点で言ってくれてるんだからね。

これこそが、わしが『戦争論』を描いたモチーフになっとる。
だから最初にわしは『戦争論』の中で、すもう大会のエピソードを描いたんだ。
負けるとわかっているのに、すもう大会に出ていって大恥をかく。
その非合理の中にしか倫理は生まれないだろうって。

あのエピソードと、大東亜戦争の重なりの意味を、誰も見抜けない。
それは戦後の文学者、批評家が福沢諭吉すら、ちゃんと読み解く能力がなかったからに他ならない。

(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)



369 - 370ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎




つまりだねぇ〜、オマエは「すもう大会に出ていって大恥をかく。その非合理の中にしか倫理は生まれない」と信じて大東亜戦争を肯定している。



デンマンさんもやっとオイラの言いたい事が理解できたようですね!?

バカだねぇ〜。。。だから、オマエは愚か者だと僕は言うんだよ。 倫理とは僕の国語辞典では次のように定義されている。


倫理

行動の規範としての道徳観や善悪の基準



三省堂『新明解国語辞典』より




そうですよ。 これは国語の読解力の問題ですよ。(微笑)



でもオマエは次のように書いた。


歴史に道徳持ち込む愚に

そろそろ気づいてよ



どうしようもないねー、その良心主義者みたいな感覚が。
戦争に道徳持ち込んで良心主義者的感覚で語るなんて、クラウゼヴィッツすら知らんのかねと思ってしまう。

 (中略)

言葉を「進出」に書き換えたところで、そこに道徳的価値観を持ち込んで「悪」だったなんて言うんだから、それは旧態依然とした「侵略=悪」って話をしているのと全く同じだよ。
とにかく「侵略=悪」っていう固定観念があるところが左翼なんだよな。
左翼はずーっとそう言ってきたわけだから。

20世紀ってのは、帝国主義と共産主義とファシズムの時代だったわけだよ。
「帝国主義」とはつまり「植民地争奪主義」で、15世紀にスペイン・ポルトガルが海外に出て行った、いわゆる「大航海時代」から始まって、以降ずっと白人の帝国主義の振る舞いをマネなければ近代国家にはなれなかったんだよ。
とにかく植民地を持つこと自体が「近代国家」だったんだから。

そういう時代性を無視して、現在の基準で過去を見て、侵略はいけない、悪だとか言ったってダメなんだよ。
帝国主義か、しからずんば東南アジアのように植民地になるのか。
その二者択一しかない時代だったのであって、そんな時に「侵略はいけない」って言うのは20世紀前半の価値観からいくと、
「植民地になることが善である! 植民地になって、白人にムチ打たれることのみが、善なのだっ!!」
…って言ってることになるからね(笑)。

その時代に今の民主主義の観念なんか通用しないんだから。
今の時代の価値観でしかものを考えられないという「思想の不自由さ」がクダラナイわけよ。

(注: 写真はデンマンライブラリーから貼り付けました)



176 - 178ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎




だから。。。どうだとデンマンさんは言うのですか?



だからじゃないだろう! 自分で道徳を持ち出すな!と言っておきながら『道徳観や善悪の基準』としての倫理を持ち出してきた。 しかも「士風こそを後世に伝えよ」というようなバカバカしい古い封建的な考えを持ち出してきて大東亜戦争を肯定している!

いけませんか?

いかん! いけないよ! アッカ〜♪〜ン! オマエがこれ程までの愚か者だとは思わなかったよ。

「士風こそを後世に伝えよ」がそれ程いけませんか?

あのなァ、オマエは次のようにも書いている。


現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。
忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。



369ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎




今日までの厳しい世界事情を考えても忠君愛国や士風は決して美徳などではないよ!



その根拠は。。。?

オマエの言う美徳の「士風」を一部の日本人が後世に伝えるために、いかに多くの日本人が不幸のどん底に落ちなければならなかったか!?

だから、その根拠は。。。?

オマエがそれ程根拠に拘(こだわ)るのならば次の小文を読めば僕の言おうとする事が分かると思うよ。

 (すぐ下のページへ続く)


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