藤原鎌足の長男(PART 3 OF 3)
【レンゲの独り言】
ですってぇ〜。。。
そうかもしれませんよね。
伝説は伝説として後世に伝えられてゆくのかもしれません。
定慧さんが「慶雲館」の創業者になったというのも、ロマンがあって良いことだと思いますわ。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、興味深い話題がさらに続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』
■『夢とロマンの横浜散歩』
■『愛とロマンの小包』
■『下つきだねって言われて…』
■『銀幕の愛』
■『パリの空の下で』
■『夢の中華パン』
■『愛の進化論』
■『漫画家と平和(2011年3月6日)』
■『漫画家の壁(2011年3月10日)』
■『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』
■『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』
■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』
こんにちは。ジューンです。
奈良時代から、たくさんの帰化人や大陸からの難民が
関東地方に移住してゆきました。
デンマンさんの祖先も百済からやって来て
奈良の都に行ったのでしたけれど、
なかなか思うような官職に就けずに
関東に移住することを決めたそうです。
歴史を紐解(ひもと)いてみると
奈良時代の初めから次のような移住が記録されています。
天智天皇5年(666年)
百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。 この集団の殆どは出家者とはならなかった。
天武天皇13年(684年)
百済人の僧尼及び俗人の男女23人を武蔵国へ移す。
持統天皇元年(687年)
投化した高麗五十六人を、常陸国に居住させ、投化した新羅人14人を下野国に配する。 又、新羅の僧侶及び百姓の男女22人を武蔵国に移住させる。 いずれも土地と食料を給付し、生活が出来るようにする。
持統天皇2年(688年)
百済の敬須徳那利を甲斐国に移す。
持統天皇3年(689年)
投化した新羅人を、下毛野に居住させる。
持統天皇4年(690年)
帰化した新羅の韓奈末許満等12人を武蔵国に居住させる。 又、帰化した新羅人等を、下毛野国に居住させる。
霊亀元年(715年)
尾張国人の席田君邇近及び新羅人74家が美濃国を本貫地とし、席田郡を建てる。
霊亀2年(716年)
駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1799人を武蔵國に移し、始めて高麗郡を立てる。
天平5年(733年)
武蔵国埼玉郡の新羅人徳師等の男女53人に請われ、金姓とする。
天平宝字2年(758年)
日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移住させ、はじめて新羅郡を置く。
天平宝字4年(760年)
帰化した新羅人131人を武蔵国に置く。
天平神護2年(766年)
上野国の新羅人子午足ら193人が吉井連を賜姓される。
延暦18年(799年)
百済姓の甲斐国人190人、高麗姓の信濃国人12人等、朝廷に願い出て日本姓を下賜される。
弘仁5年(814年)
化来した新羅人加羅布古伊等6人を美濃国に配す。
弘仁11年(820年)
遠江国・駿河国に配された新羅人700人が反逆する。(弘仁新羅の乱)
天長元年(824年)
新羅人辛良金貴、賀良水白等54人を陸奥国に安置する。 法により復を給し、乗田を口分田に充てる。
貞観12年(870年)
新羅人20人の内、清倍、鳥昌、南卷、安長、全連の5人を武蔵国に、僧香嵩、沙弥傳僧、關解、元昌、卷才の5人を上総国に、潤清、果才、甘參、長焉、才長、眞平、長清、大存、倍陳、連哀の10人を陸奧国に配する。
これを見ると、ずいぶんたくさんの百済人や
新羅人が関東に下っていったのが分かります。
デンマンさんも小百合さんも
そのような百済人の子孫だそうです。
ところで、英語の面白いお話を集めてみました。
もし、時間があったら読んでみてくださいね。
■ 『あなたのための 楽しい英語』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。