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畳の上の水練(PART 3 OF 4)

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畳の上の水練(PART 3 OF 4)




私は学友にどう思われていたかわからないが、ある女の子から思わせぶりな態度を示された。 彼女も生物学に関心があって、私はすっかりのぼせあがる。 彼女は私のほかの男の子とこんなふうに比べた。 ひとりはブロンドで、笑わせてくれる。 その子は昼だと言う。 もうひとりは顔が浅黒くて、つっぱり屋。 その子は夜だ。 「それでね、デイヴィッド、あなたは夕方よ」と言って、彼女は自分の気のきいたたとえを笑った。

最高学年になり、アイビー・リーグの名門大学数校に出願したが軒並み断られ、がっくりきた。 結局、滑り止めと思っていたロチェスター大学に入学する。

 (中略)

ひどく孤独で、ついにメアリーという女の子と図書館で会う約束を取りつけたときには、腹ペコのオオカミがウサギを追って突進するように追いかけた。 メアリーは夜間の講座を受ける学外の人間で、すでに彼氏がいたが、そんなことでひるむような私ではない。 ある春の日、メアリーが彼氏と車で遠出しようとしていた。 私は満開の花をつけたライラックの木から枝を一本丸ごと切り取り、車の後部座席に投げ入れた。



あとで彼女が語ったところによると、それは熱烈な行為で、ライラックのうきうきするような香りが車内に立ちこめた。 ついにメアリーの心をつかんだのだ。

 (中略)

7月末にアルバイトが終わると、メアリーを父と父の二番目の妻べティーに紹介した。 父とべティーはジョージ湖に避暑に来ていた。 二人の人間がメアリーと父みたいにあっというまに嫌い合うのを、私は見たことがない。 メアリーは煙草を吸い、父はパイプのほかにときどき葉巻をふかした。 初対面のときに父は葉巻に火をつけ、メアリーはたぶんへたな冗談のつもりでこう言った。 「葉巻なんて大嫌い---大きいペニスの象徴でしかないわ」。 父にそんなことを言うものではない。 父は憎々しげにほほえみ、言い返した。 「ほう、煙草が小さなペニスの象徴でなくて、何だっていうのかね」

人生はピンボールのごとしというたとえはまだ続き、それから数日のあいだ、 私は電気仕掛けのスティックでひっぱたかれる銀色の玉になった気がした。 まさしく父とメアリーのあいだを行ったり来たりしたのは、ふたりがたがいを避けていたからだ。 何とかしなければならず、私とメアリーはジョージ湖で八月を過ごすのをやめ、愛する「父よけ」カヤックに乗りこみ、650キロを漕いで大学に帰った。

 (中略)

メアリーとの関係はだんだん悪化していったが、どんな人間関係でも努力すればうまくいくというのが私の信念だった。 電話で長々と話し、話しているうちにメアリーはどんどん機嫌が悪くなっていく。 ラヴェルの「ボレロ」の音がだんだん大きくなっていくのに似ていた。 それから、ある種の精神浄化作用が行われたかのように、機嫌を直して電話を切る。 私は疲れ果てる。 ルームメイトはユーモアに富む大らかな男で、電話を立ち聞きして、ついにこんな忠告をしてくれた。

「デイヴィッド、関係を続けようとする努力には感心するよ。 サーカスで頭の上にゾウをのっける怪力男みたいだ。 でもな、ゾウは君の頭でクソしてるんだぞ」。



悲しいかな、こんなにわかりやすい分析をしてもらっても、人間関係はその気になりさえすれば維持できるという信念は変わらなかった。

 (中略)

メアリーとの関係は日に日に、ますます努力を要するようになっていったが、それでも私たちは結婚することにした。 私が大学を卒業した週に大学の教会で式を挙げ、家族全員がつとめて平静を装って出席した。 父も例外でない。

 (中略)

メアリーはスパルタン・ヴィレッジですることがまったくなく、結局、Kマートで店員の仕事を見つけた。 私は夕方に迎えに行き、翌日の昼食にする湿ったサブマリンサンドを特売価格で買う。 メアリーはカメラ売り場に配属され、写真に興味を持った。 最初はほんの趣味程度だったが、やがて求人広告を見て、小さな広告会社の仕事にありついた。 自分を伸ばせる世界がここにあったのだ。 一年とたたないうちに、かろうじてふたりをつないでいたぼろぼろの綱がぷつんとちぎれ、私たちは離婚手続きを申請した。 メアリーは、その後、本職の写真家として成功する。 べつべつの道を歩くことになって私はほっとしたが、大学院の友人が何人かいるだけで孤独だった。 どうすればいいのだろう---飲み屋で女性に近づいて「やあ、ぼくデイヴィッド。 暇なときはいつも動物プランクトンを研究してるんだ」とでも言えばいいのか。 私はいつまでたっても女性の目から見て“夕方”のような気がしていたが、とぼとぼ歩き続けることしかできなかった。

(注: イラストと写真はデンマンが貼り付けました。)



(381-389ページ) 『みんなの進化論』
(Evolution for Everyone)
2009(平成21)年4月25日 第1刷発行
著者: デイヴィッド・スローン・ウィルソン
    (David Sloan Wilson)
訳者: 中尾ゆかり 発行所: 日本放送出版協会



『愛の進化論(2010年12月22日)』に掲載




あのなァ、この本は『進化論』の入門書と言うか、啓蒙書なのだよ。  著者はオマエや僕と同じ世代。 大学の先生だよ。 この部分は進化論とは直接の関係はない。 でも、僕は上の文章を引用して『愛の進化論』という記事を書いた。 だから、進化論のエピソードとして使える。 全く進化論と無関係なエピソードではない。 日本語訳が出ているからオマエも勉強のために読んでみたらいいよ。



売れっ子のオイラはメチャ忙しくってぇそんな暇はありませんよ。

あのなァ、だからオマエは人生経験が乏しいのだよ! オマエのように体験や経験を軽んじると、オマエの今後の人生にいいことないよ!

その根拠は。。。?

あのなァ、オマエが本の中でも紹介している亜細亜大学教授の東中野さん---この人も欧米で半年以上暮らしたことが無い。

どうして、そんな事がデンマンさんに分かるのですか?

その質問に答える前にオマエがどのように東中野教授を紹介したか?その部分をもう一度読んでみろよ!




「南京虐殺」に関する研究は現在急速に進んでいます。亜細亜大学教授・東中野修道(おさみち)氏の欧米の第一次史料を徹底的に研究し、『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)で、「『南京虐殺』を証明し得る公式記録、即ち歴史学で言う一等史料、二等史料、三等史料が、ひとつもない」
という重大な結論を発表しました。
ニセ写真のケースなどに顕著ですが、「南京虐殺」の証拠として提示されているのは、すべて資料作成者の明らかでない「四等史料」と、いかなる基準で作成されたのかわからない「五等史料」であり、それらを歴史叙述の根拠とすることは事実無根の宣伝(プロパガンダ)である、という結論です。
『新・ゴー宣』でも、それらの研究の成果を踏まえ、第五巻の特集『南京の本当の真実』で『戦争論』よりもさらに詳細に「南京虐殺」の虚構性を指摘しました。

「歴史学」における正当性を評価するのは「史料批判」にある。
つまり歴史資料の信憑性を徹底的に審理しなければならないってことは、はっきり意識しておかなければならないよね。
常に史料批判をしながらじゃないと歴史は語れない。
それなのに、本田勝一とか左翼連中は全く史料を無視して、おそらく当時八路軍(パーロ軍=中国共産党軍)にいたんだろうと思われるじーさん、ばーさんたちから「証言」を集めてくるようなバカなことをずーっとやってきたわけだけど、あんなもんは全然史料に値しないんだから。
思い込みだけでモノ語るんじゃなくて、ちゃんと徹底的に史料批判をやった学者の本も出ているんだから、やっぱり今の時点では「虐殺があった」と主張するなら東中野修道氏に戦いを挑むしかないんじゃないの?

(注: 赤字はデンマンが強調のため。
写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました)



195 - 197ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎




つまり、デンマンさんは東中野先生に戦いを挑むつもりなのですか?



もう戦いは済んでいるよ!

マジで。。。?

次の小文を読んでみろよ。


東中野の論法は、被害者の証言にたいしてもつかわれる。 南京事件当時、八歳の少女だった夏淑琴さんが一家九人も殺害され、四歳だった妹とともに孤児として生きなければならなかったことを証言したのにたいし、東中野は「夏淑琴が事実をありのままに語っていれば、証言に食い違いのおこるはずもなかった」、証言内容に「一点の食い違いがあってもならない」と、証言記録(これも本人ではなく聞いた者が記録したもの)によって年齢や家族数が一致していない、として夏淑琴さんを「ニセ被害者」と書いたのである。 この論法は、東中野が聞き取り調査資料の扱いの基本も知らないことを意味している。 聞き取り調査の場合、証言者の数や年、月日に関する記憶の誤りはさほど問題にならない。 大切なのは基本的な体験記憶である。 夏淑琴さんの証言ではこの体験記憶は一致している。

さらに、ドイツ外交官ローゼンの外交文書にあった夏淑琴さんの家族の惨劇の場面の報告で、夏さんを bayoneted とあるのを「銃剣で突き殺した」と訳して(「銃剣で突き刺した」と訳すべきところ)、夏さんが死んだことにし、その後に the 8-year old girl が負傷して生き残ったと記されているのを、the(その)とある意味が理解できずに、生き残ったのは夏さんでなく、別の少女である、つまり夏淑琴さんは死んだはずなので、負傷して生存したと証言している夏淑琴さんは「ニセ被害者」であるというのである。 英文の初歩的な誤訳にもとづいて、夏淑琴さんを「ニセ被害者」と断定してはばからないのである。

日本人の研究者に「ニセ被害者」と書かれた夏淑琴さんは心に大きな衝撃と傷を受け、憤りと無念さで精神不安定な状態に陥った。 その怒りと悲しみから東中野の本を名誉毀損で提訴したのである(2006年6月)。 夏淑琴さんが来日、東京地裁の法廷に立って、「東中野に直接申し上げたい」と証言したが、東中野は法廷にあらわれることなく、準備書面で自分は「学問的な見解を述べたまで」と繰りかえし、自分の言論が被害者の夏淑琴さんの心を傷つけた「第二の罪」を犯しているという自覚はまったくない。

同裁判の東京地裁の判決が2007年11月2日に出され、夏淑琴さんの名誉毀損を認定し、慰謝料など400万円の支払いを命じた。 判決文は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と言い切った。 東中野の研究者としての資格を否定する厳しいものである。 東中野は「非常に心外だ。控訴する方針だ」とのコメントを出したという(『朝日新聞』2007年11月3日)。



247 - 249ページ 『南京事件論争史』
著者: 笠原十九司
2007年12月10日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社




デンマンさんはオイラの本を読んだのでしょう?



もちろんだよ!

だったら、上の本を書いた笠原さんには問題があるのですよ。 知らないのですか?

分かっているよ。 オマエの言おうとしている事は分かっているんだよ! 僕はオマエが言おうとしている事を本の中で読んだよ。


この本の中でも特に「小林よしのり」をムキになって攻撃しているのが、都留文大教授・笠原十九司(とくし)氏です。 この人は、著書『南京事件』(岩波新書)で写真誤用事件を起こし、その経緯を『戦争論』第11章『反戦平和のニセ写真を暴け』に描かれた人です。

日本軍が支那人の農民、女・子供を、敗残支那兵の略奪から守っていたという写真を「日本軍に拉致される中国人女性」として平気で載せてしまう、つまり史料批判をしていないわけだから、結局歴史学者として失格なんだよ。 まあそれでも今まで左翼の中では通用したんだろうけれどね。 写真誤用がバレてもせいぜい二千部の岩波新書の写真を差し替えればいいだけなんだから。 ところがそれが今度は65万部で大宣伝されちゃった。 それでプライドが傷ついたのかもしれんけど、読者の方だって目が肥えてきて、水準が上がってしまっているんだからしょうがないよ。 史料批判も何もしない写真をいくら載せてしまったって、これからはどんどん見破られるよ。



197 - 198ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎


 (すぐ下のページへ続く)


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